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小田原ウォーカー 荻窪~城山~板橋(2015/7/9



 今月の山歩きの例会を終えると間もなく梅雨が明け、例年どおり猛暑がやってきた。散策記録を日記帳ならぬ“月記帳”に書き綴ろうと自らを励ましてはみるものの、この暑さと寄る年波に打ち克つのは容易ではない。



 とはいえ、放置しておけば記憶が薄れていくばかりなので、なんとかリポートを作っておくことにした。





 7月の例会は、前月に引き続き「小田原散策」。小田原駅を起点に荻窪用水散策ルートを歩いて城山公園を目指し、帰路は板橋地区にある松永記念館を見学し、小田原城址公園を通って小田原駅へ戻るという全行程約8kmのウォーキングだ。

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 降水確率50%の曇り空の下、小田原駅を午前10時にスタート。参加者は自分を含めて6人。



 西口から出て最初に向かったのは城山丘陵の東端に鎮座する「大稲荷(だいいなり)神社」。天正10年(1582年)の創建とある。



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 鳥居には「茅の輪」が取り付けられ、夏越の大祓(なごしのおおはらへ)の時期らしい。茅の輪をくぐり、心身を清め、新たな清々しい気持ちで日々過ごすことができるように、無事安全、無病息災を祈る神事だという。





 いったん城山丘陵を下り、荻窪用水散策ルートに入る。



 荻窪用水の小川がモデルとなって、童謡「めだかの学校」が作詞家の茶木滋によって作詞されたという由来を紹介している親水公園風の「めだかの学校」。

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 箱根山を源流とする早川の流れを箱根湯本辺りで取水し、この地に灌漑用水として導水している「荻窪用水」。数日来の雨のせいか、もしや火山灰のせいなのか水の色が白濁している。



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 荻窪用水散策ルートに沿って歩き、緩やかな上り道から別れると再び城山丘陵に足を踏み入れる。



沿道には無数に咲いている「ハキダメギク」。

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そして、「ヒメヒオウギスイセン」。
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 2年前に歩いた「からたちの花の小径」を、この日は反対方向からのウォーキング。



 標高が100メートルあまりのこの地点からは、1ヶ月前に歩いた「久野丘陵」が一望され、東の彼方には相模湾の海が光って見えていた。
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この辺りからの景観は、北原白秋が“野外劇場の観客席のよう”と絶賛している。
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 「からたちの花の小径」を抜けると、小田原城の外郭部に巡らした「惣構え」の一部といわれる、「小峰御鐘ノ台大堀切東堀」がある。後北条氏が秀吉軍の攻撃に備え、小田原城の防御線として、ここ城山丘陵(「八幡山丘陵」というのが正確な名称らしい。)を分断する構造の堀を巡らしたものとされている。(詳しくは、案内板の写真を参照。)
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 大堀切を抜けると、眼下に相模湾が見え始めた。沿岸部には早川漁港(小田原漁港とも言う。)、直下の街並みは小田原市板橋地区。



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 かなり急な南傾斜の住宅地を下りきると、「香林寺」という古刹の向かいに「松永記念館」が立っている。



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 松永記念館は、かつて「電力王」と呼ばれ、数寄茶人としても高名の松永安左ヱ門(耳庵)が、 小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、自宅の敷地内に建設した施設と紹介されている。(案内板参照)



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 松永記念館の裏手、一段高いところに「老欅荘(ろうきょそう)」があり一般に公開されている。老欅荘は、松永安左ヱ門が昭和17年頃からこの地に別荘として建設を始め、戦後の昭和21年に移り住んだとされている。
 松永記念館を管理している小田原市の職員の案内で、老欅荘の内部を見学させていただいた。寺の梵鐘までもが軍に徴用されたという時代に、このような別荘建築に邁進できた松永安左ヱ門は時代を超越した硬骨漢だったようだ。職員の説明によれば、松永安左ヱ門は身長180cmの巨漢でもあったそうだ。



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 茶室から見える築地塀、緩やかなアーチを描いた形状は景観を楽しむための細工とか。

 見学を終え、東海道に向かって歩くと間もなく、「板橋のお地蔵さん」と親しまれている「板橋地蔵尊」に到着。

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 地蔵尊の前を通る旧東海道を歩き、しばらく進むと商家の佇まいに土蔵が隣り合わせになった旧い建物が見えた。



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 醤油工場の看板がかかっていて、明治時代創業の内野醤油の建物である



 案内板を転載すると、

「この建物は、板橋の地で3代100年近くにわたって醤油醸造業を営んでいた内野家の店舗兼住宅として明治36年(1903年)に建てられました。当時流行していた土蔵造り風の町家で、「なまこ壁」や「石造アーチ」など、和洋折衷的な特徴ある意匠が取り入れられた貴重な歴史的建造物です。」

 次に立ち寄ったのは、「清閑亭」。明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸として、1906(明治39)にこの地に建てられ、旧小田原城三の丸外郭土塁の南向き傾斜地に立っており、晴れた日は母屋から真鶴半島や大島を望む相模湾や箱根山を一望できるという。

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邸内で営業している「カフェ清閑亭」で、コーヒーとクッキーのセットを注文してひと休み。休憩時間を利用して、次回以降の計画をお知らせし、ご意見を拝聴するなど歓談して退出した。





 小田原駅に立ち戻って、ふと思い出したのが10日ほど前(6月30日)に小田原駅近くで発生した「新幹線焼身自殺事件」だ。その日のニュース映像では、小田原駅が頻繁に映っていて、ホームや改札口あたりにメディア関係者が殺到していた様子が思い起こされた。



 また、箱根山では、7月3日から大湧谷の噴火警戒レベルが3に引き上げられるなど、神奈川県西部を巡るニュースが報じられる機会が増大している。

 この秋には箱根へ紅葉狩りに行くという計画をしていたが、シニア世代ばかりのグループなので、残念だがしばらく見送ることとした。