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上海みやげの「国宴酒」・マオタイ酒(2015/2/13)



 学生時代に交流のあった友人が、何年か前から上海で仕事をしている。その友人から「帰国するので会えないか」とメールが届き、昨日会った。年賀状の交歓は絶やしていないが、40年くらいのブランクを挟んでの再会となった。お互い、年齢なりの印象だったろうが不思議と違和感のない再会だった。



 友人の都合でランチタイムということになり、居酒屋はいくらでも展開する、ここ「東海大学前駅」周辺でも、昼間からビールを飲みながら放談できる食事処は限定的だ。



 東海大学前駅近くに「ライブカフェシェル」という店があり、ここでは音楽好きの客向けに、ライブ用ステージやピアノ、ドラムスをはじめ、音響装置も備えている。この店でランチができると思っていたが、最近になって店の営業方針が変わったらしく、貸し切り専用のライブスタジオ(食事や飲み物の提供もある)に転身して、一見(いちげん)の客に食事を提供するというサービスは行わなくなったという。



 結局、昔からある洋食レストランで会食することになり、2時間ほど飲み食いしながらの再会タイムとなった。



 友人には、上海での仕事ぶりや中国の国情などを尋ねたが、ネットやニュースなどで見聞きした情報とさほど変わらないようだった。





 ところで、上海土産といって友人が持参したものは「国宴酒」だという。友人曰く、「高価であり、入手もなかなか難しい酒」とのこと。「老酒の類か」と尋ねたら、「日本でいう焼酎に近い酒」らしい。




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 今日になって、ネットで調べたら「貴州茅台酒53度中国国酒 貴重品」という記事が見つかった。リンクした国内のショップでは、1本(500ml14,010円とある。



記事の一部を紹介すると、





貴州マオタイ酒の歴史



300年以上の歴史を持ち、国酒として栄誉を博している銘酒です。日中国交回復式典で周恩来総理は人民大会堂に田中首相を招き祝宴その時供された酒がこれであった。周恩来は杯を挙げ田中角栄に乾杯を促した。「カンペイ!」・・・周恩来は杯を挙げ田中角栄に乾杯を促した。「カンペイ!」、と。満面笑みの田中はこれに応じ一気に飲み干そうとした、「乾杯!」……が、余りの強さに一瞬顔をしかめた。酒の度数は五十三度。日本人の知らなかった中国の酒の強烈な濃さであった。国交回復……未知の国・中国との、あらためての、出会いであった。



 とあり、確かに貴重で高価な酒のようだ。



 アルコールの度数は53度という。25度程度の焼酎を湯で割って飲んでいる自分には、高純度のアルコールをストレートで飲むようなものだろうか。



 写真は同梱されていたショットグラス。この小さなグラスに半量程度を注ぎ、ゆっくり飲むのが適当だろう。

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 いずれ、40年前に彼とも交流のあった、他の友人を呼んで一緒に飲もうと思う。




小田原・石垣山一夜城 (2015/1/31)

 県内では降雪にも見舞われた昨日の空模様は一転し、今日は朝から青空が広がっていた。この日のハイキングは、小田原市南西部の小高い丘陵の一角にある「石垣山一夜城」だ。イベントの主催は、「かながわトラストみどり財団」、イベントタイトルは「太閤一夜城と歴史を巡るウォーキング」。

 電車に乗って出かけるのも天気さえ良ければ快適だ。小田原駅で「箱根登山鉄道」に乗り換える。

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箱根登山電車のりば」という案内板は、観光気分に誘ってくれる。



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 3つ目の駅、「入生田(いりうだ)」で下車。乗ってきた登山電車を見送るが、この電車は箱根の入り口「箱根湯本駅」止まりだったようだ。





 午前10時過ぎ、駅近くの「神奈川県生命の星・地球博物館」前の広場で点呼とストレッチを行い、小田原市ガイド協会スタッフの案内で、「石垣山一夜城」を目指してスタートする。早川に架かる「太閤橋」を渡ると上り道が始まる。しばらくは、車も走る舗装路(広域農道)を歩き、「太閤沢」と呼ばれる水路を右手に見ながら30分ほど登ると、ようやく身体が温まってきた。途中からは車道に沿うようにつくられたハイキング道に入る。



 途上、この後に見学する「石丁場」から切り出した石を運び出すための道である「石曳道」の跡があると説明されたが、よく分からなかった。



 



 上ってきた広域農道が箱根ターンパイク(有料道路)と交差するあたり、「箕ケ窪橋」の下に「石丁場」と呼ばれる石の加工場跡があり、これを見学した。



小田原市のHPから引用すると、



早川石丁場群は、早川へと注ぐ関白沢の東側を中心とする地域にあり、江戸城の石垣を造るための石を切り出した「石丁場」の跡が残っています。江戸城の築城に際しては、神奈川県西部から伊豆半島を中心とする地域に所在する箱根火山により生成された安山岩という石材が多数使用されました。各大名家は、自らが命じられた江戸城の石垣普請用の石材を入手するため、各地で石丁場の確保に努めました。(以下、省略)





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 下の写真のように、大きな岩(石)にくさびを打ち込んで割った痕跡がそのまま残っているのが観察できる。貴重な歴史史料だという。



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 さらに100メートルほど進むと、「姫ノ水橋」がある。付近に沢が流れている様子は見えないが、「北条氏の姫君達の化粧用の良質の水が採れた沢」との伝承が残ることから、中世の頃には清流が付近を流れていたのだろう。



 この辺りからは眺望が拓け、丹沢と箱根の山並みが一望できる。

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 写真は、北東の方角に展開する表丹沢の山並み。昨日の雪に覆われた姿が、青空に美しく映えている。手前の丘陵は、箱根外輪山の東側の裾野に向かって緩やかに広がる「久野丘陵」。

 

 スタートから1時間半ほどで「石垣山・一夜城址」に到着。昼食前に見学するということになり、古い石積みの擁壁の前でガイドの説明を聴く。

ここ一帯の山は、笠懸山と呼ばれていたが、戦国時代末期の天正18年(1590)に、豊臣秀吉が全国統一に向け大軍でここに陣を置き、北条氏の小田原城を包囲して攻め滅ぼしたのだが、ここに築いた城は、完成の前夜に前方の木を一斉に伐採し、小田原側からは一夜で築城したかのごとく見えたので、後に「石垣山一夜城」と呼ばれるようになったとのこと。



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 写真は、南曲輪の石垣。北条攻めのためだけに造ったとしか考えられない城にしては、ずいぶんと大きく立派な城だったようだ。金に糸目をつけず派手好きだっただけとは言えない、秀吉の桁外れの行動力のなせるワザかと感服・・・。

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 続いて井戸曲輪から二の丸、本丸、天守台跡を見て回り、物見台辺りから眼下に望める相模湾と小田原市街を写真に収めた。

 天守台の標高は、261.5メートルで、小田原城の本丸より227メートルも高く、ここからの眺望はすばらしい。



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 冬空の下に、江ノ島、三浦半島から房総半島までよく見え、その手前には先週歩いた大磯の高麗山・湘南平も望むことが出来た。



 



 昼食場所は、2011年11月ここにオープンした「一夜城Yoroizuka Farm」。オープンしてから既に4年以上も経っているのか、と当時を思い出したりする。



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 「日本を代表する著名パティシエ、東京ミッドタウンの人気スイーツ店「Toshi
Yoroizuka」のオーナーシェフの鎧塚俊彦氏「
Toshi Yoroizuka」が小田原市早川の一夜城歴史公園前に地元の農産物を使用したスイーツショップレストラン。


 との大見得を切った触れ込みは、静かな山の中の歴史公園とはミスマッチという感じがしていたが、物珍しさと眺望に恵まれた立地が客を引き寄せているようで、この日も多くの来客で賑わっていた。



 レストランのテラス席でのランチタイム。小田原駅で調達した駅弁「鯛飯弁当」を平らげ、このレストランに予約注文しておいたケーキセット(ショートケーキにドリンク付き、520円)をいただく。ここでは、小田原市とのコラボレーションで、マルシェを併設して地域の農家の方々野菜を販売しているとのことだったが、衝動買いで荷物が増えては困ると思い寄らずに帰った。

 

 帰りのルートは、JR早川駅までの下りだ。ミカン畑に囲まれた農道をのんびりと下り、途上の眺望が開けたポイントからは、小田原市街はもとより、曽我丘陵、丹沢山塊そして相模湾と沿岸に連なって展開する湘南の街並みまでが一望され、ハイキング客は皆一様に足を止めて、その眺めに魅了された。



 下り道も終わりにさしかかり、早川の街並みが近づいた一隅に立つ海蔵寺という古刹に着く。嘉吉元年(1441)創建の曹洞宗のお寺だという。詳細は説明板の写真を参照されたい。



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 説明板に紹介されている「ビラン樹」は、とても珍しい樹木のようだ。「バクチの木」など異名の由来は、戦国の武将「堀秀正」の墓とともに興味深い。

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 続いて、向かったのは近くにある、坂東五番札所といわれる「早川観音」。隣接する真福寺には、「真福寺のイトヒバ」と呼ばれ、小田原市の指定天然記念物とされる樹木が目を引いた。



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目通り幹回りは約2.9メートル、樹高は約16メートルあるという大木が聳えている。



 



 ここまでで、ガイドの案内は終わり、近くの早川駅にて無事に解散となった。ガイドの薦めで、駅近くの土産物屋に立ち寄り、「さつま揚げ」を調達して帰路についた。



 天候に恵まれた今日のハイキングは、ウォーキングメーターで1万5千歩ほど、時計は午後3時近くを指していた。




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