So-net無料ブログ作成
検索選択

大磯・高麗山公園(2015/1/24)

 今年の冬は寒い。元日から雪が降り、初詣に出かけた神社も、宮司らも寒さに耐えかねてか“店じまい”し、引き上げてしまって、ひっそりと無人の境内だった。

takehaya.jpg

 昨年の今日に授かった破魔矢を拝殿の脇に置いて返納したが、今年のものは授かることがかなわなかった。


 “寒いサムイ”とぼやいているうちに風邪を患ってしまい、里山歩きの月例会を欠席する始末となった。インフルエンザではなく高熱には至らなかったが、中旬に予定していたゴルフに影響すると困るので大事をとった。



 



 今月の里山歩きは、平塚市と大磯町にまたがる「高麗山(こまやま)公園」の予定だったが、ハイキングコースの一部が、昨年の台風の影響による土砂崩れで閉鎖されているため、行き先が渋沢丘陵に変更になったと、メンバーの一人が夜になってから電話で知らせてくれた。



 高麗山公園は、2年近く参加している里山歩きの会では、初めてのコースで楽しみにしていたメンバーも多かったのに、残念なことだったのでは・・・。



 



 1月も下旬になり、この日の天候はまずまずの予報だったので、バッグにカメラを入れ、一人で高麗山公園へ出かけた。公園の西側に位置する通称「湘南平」までマイカーで行き、平塚市のHPから入手した地図を手にスタート。

syounan_daira.JPG

 レストハウスのある展望台に上り、眼下に広がる相模湾をカメラに収める。手前の街並みは、大磯町



sagami_wan.JPG

 空に広がる雲の合間から、わずかに差し込む陽を浴びた海が幻想的に美しく見えた。さすがに、ここが相模湾の絶景ポイントの一つと賞されるだけのことはある。



 展望台のある、ここレストハウスを中心とした一帯は、駐車場やトイレ、いくつものテーブルとベンチなどが設置され、ハイカーだけでなく、一般市民の憩いのスポットになっているようだ。



syounan_daira_.JPG



 写真に見える「テレビ塔」の脇からハイキングルートに入る。



 よく整備されたコースを進み、いくつかのアップダウンを経ると、まもなく「浅間山」に着く。

sengenyama.JPG

 関東一円に散在する“浅間山”がここにもあった。富士山を神に見立てた「浅間信仰」は、江戸期以降に広まったとされる、庶民のささやかな民間信仰だったという。



sengensya.JPG



 大きなエノキの脇に、「浅間社」と呼ばれる石祠がある。



 高麗山へ向かうルートを進むと、途中に分岐の道標があり、左に下ると「地獄沢」へ向かうとの表示だ。その名に誘われ、地獄沢方面へ進む。

jigokusawa_root.JPG

 この沢筋が地獄沢のようだ。ルートは沢の湿気が滲んでいるようにジメジメしていて、夏の季節には、マムシなどにも要注意のルートだ。



jigokusawa.JPG



 標高では200メートルにも満たない低山だが、大雨の時にはハイキングルートに設けられた橋をも押し流してしまうほどの流量になるらしく、新調された橋にはワイヤーロープが沢の両岸のアンカーに結ばれて、橋が流失しないよう保守されている。

root_bridge.JPG

 高麗山の東側の裾を回り込むように巡るハイキングルートは、数カ所写真のように狭小な箇所もあるので、景色にばかり気を取られてはいられない。



komayama_root.JPG



 ほどなく、「高来神社」に到着。



takaku_jinjya.JPG

takaku_jinjya_.JPG
 明治元年の神仏分離令までの「高麗寺」が廃寺になり、「高麗(こま)神社」になった。その後、明治30年に現社名「高来(たかく)神社」に改称されたという。社名は、朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれ、“高来(たかく)”は、“こうらい”とも読めるので、当て字のような命名かとも思う。


 ここからは、いよいよ高麗山頂を目指した急登「男坂」にさしかかる。高来神社までのルートには「女坂」への分岐があったが、ここまで来たので「男坂」を上るしかない。



komayama_root_otokosaka.JPG



 標高差はたいしたことのない数字だが、一気に上ると息が上がる。最後の階段の上りもきつかった。

komayama_root_.JPG

 頂上には、標高167.3mとあり、また高麗山の名の由来を語る案内板がある。



komayama_info.JPG



 丹沢の山間から高麗山の近くまで流れ下る「金目川」があり、自分の住む秦野(はだの)まで、朝鮮半島からの渡来人が、この川を遡って流域に居住区を展開し、半島の文化や耕作技術を伝えたなどという郷土史家が多くいる。興味深い話だが、あくまでもありそうな仮説ということなんだろう。

komayama_ikou.JPG

 頂上には、礎石が並んだ「上宮跡」がある。かつては高麗権現社と称され、高麗神社(現・高来神社)の前身がここにあったという。

 さて、目的地「高麗山」にたどり着いたので、ここからはスタート地点まで戻るだけだ。途中にある「八俵山(はっぴょうやま)」を経由し、地獄沢への分岐地点を目指す。


kenmin_no_mori.jpg

 この辺りから、柔らかな陽射しが出てきて、常緑樹の葉を明るく照らし始めていた。



 スタート地点の駐車場まで帰り着き、時計を見ると所要時間は2時間半ほどだった。



 

 ところで、山に入ってしまうと気が付かないが、高麗山の山容は特徴的だ。安藤広重の「東海道五十三次」の平塚宿にも高麗山は描かれていて、実際の山の姿もこのとおりだ。



komayama_hiroshige.jpg



 低山だが、この絵が示すとおり麓から頂上までは、まさしく“急登”だった。もちろん、迂回路として中高年者向けのハイキングルートは複数あり、選択肢は豊富だ。次に来たときは、コースを間違えずに歩こう。