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秦野・震生湖公園(2014/12/27)

今年最後の土曜日、好天に誘われて近くの「震生湖公園」を一周してきた。


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ボランティア団体の活動のおかげか、湖周辺の雑木林は明るくきれいだ。


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この湖には流入する川や沢もなく、流出もしていない。地下水脈だけで近くの水系とつながって水量を保っているという。

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湖畔に建つ寺田寅彦(物理学者)詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」の句碑。



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192391日の大正関東地震(関東大震災)の際にできた。地震動によって付近の丘陵が200mにわたって崩落し、市木沢(いちきさわ)最上部をせき止めたことから、その川筋と窪地が湖となったもの。震生湖の名は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した(とされる)物理学者寺田寅彦が名付けたとされる。しかし、彼が東大地震研究所の所員としてこの地に調査に来たのは1930年である。1928年発行の「神奈川県中郡南秦野村郷土誌」には既に震生湖の名前が出ており、寅彦が当地に来たときには既に震生湖の名称があったと考えられる。(Wikipediaから引用

 

ネットから見つけた震災後間もない時期の作成と思われる「湘南軌道」の地図には、まだ震生湖の呼称はなく、単に「陥没地」と表示されている。(図の中央辺り)



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次の写真は、崩落したとされる痕跡を示す崖である。昨年の春までゴルフ練習場として長い間使用されてきた。この崖は、哀れにもゴルフ練習場の打ちっ放しの標的として、ゴルフボールを無数に被弾してきたが、ようやく解放され、現在は市内の建設会社が計画する太陽光発電設備用地の一部となるようだ。

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この太陽光発電設備計画がどのような段階にあるのか調べてみた。

秦野市のHP「特定環境創出行為に関する公聴会の結果記録を公表中」から、「関野エンタープライズ 今泉(上市木)太陽光発電施設建設事業公聴会の結果記録について」には、次のとおり掲載されている。



平成26104日(土曜日)午後1時から秦野市立南公民館2階大会議室において開催された、特定環境創出行為「関野エンタープライズ 今泉(上市木)太陽光発電施設建設事業」公聴会について、秦野市まちづくり条例施行規則第25条の規定に基づき、その記録を公表しています。

公聴会の議事録は、次のリンクを参照。

http://www.city.hadano.kanagawa.jp/kaihatsu/documents/141004koutyoukai_1.pdf

ざっと拝読したが、開発者側、意見陳述人のそれぞれにごもっともな発言が披瀝されている。それにしても、公聴会に先立って行われた当該事業説明会への住民側出席者がたった1名であったこと、さらにこの公聴会に出席する意見陳述人2名のうち1名は欠席で、市の職員が意見書を代読するという始末で、開発に反対の姿勢である意見陳述人の熱意が伝わってこないようにうかがえた。

しかし、この震生湖とその周辺の土地のほとんどが民有地で、進入道路も本件開発業者が暗黙の了解(?)で開放しているという記述があり、多くの市民と観光客に愛されている震生湖公園の行く末が案じられる。調べたことはなかったが、震生湖の一部を使った有料の釣り堀があり、この経営者が主たる所有者だろうか。だとしたら、長い間市民に憩いの場を無償で提供してきた篤志家ということになる。確かではないが、有り難いことだ。



写真は有料の釣り堀ではなく、開放水面に釣り糸を垂れる太公望達。



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ところで、震生湖は渋沢丘陵の東端に位置するものと思っていたが、Wikipediaの記事によれば「大磯丘陵北部、神奈川県秦野市と同中井町にまたがる湖」と紹介されている。要するに、「渋沢丘陵」と「大磯丘陵」は連なっているので、どちらに帰属するかなど矮小な問題なんだろう。



しかし、この連なる両丘陵は太古の昔から地震を伴う大きな地殻変動が繰り返されたという記録がある。秦野市内を流れる金目川(葛葉川、水無川、室川を含む)は、太古には中井町を流れる「葛川」の上流であったが、3~5万年前に起きた地殻変動により、大磯丘陵の一部が大きく隆起してこれを塞いだため、現在のように平塚市内へ流れ下るような流路に変わってしまったと言われている。



 



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震生湖公園の入口に戻り、秦野盆地を一望する。北側には表丹沢の山並みが美しい。この山並みも1700万年前頃には海底火山だったという。




箱根堂ヶ島渓谷遊歩道(2014/12/12)

時季遅れだが、紅葉の名残りを期待しながら箱根へ出かけてきた。散策コースは箱根宮ノ下、箱根駅伝のコースともなる国道一号のはるか下を流れる早川沿いの「チェンバレンの散歩道」のニックネームで呼ばれるルートで、ファンの多い散策路だ。近くのホテルや旅館の宿泊客にとっても、1時間ほどで周回できるコースだ。


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マイカーで向かい、宮ノ下にある有料パーキングに車を置いてスタート。


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パーキングの向かい側にある立派なホテル「エクシブ箱根離宮」の脇に、遊歩道への入口を示す道標を見つけた。



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ここから遊歩道のある早川沿いまでの標高差は約100メートル。ひなびた古い坂路ルートを下り立った一帯は工事中だった。工事の看板には「(仮称)箱根プロジェクト既存解体工事」とある。事業主は「對星館(たいせいかん)」。まだ残っているHPを閲覧したら、昨年8月末で営業を終了したとのこと。行われている工事は、旅館施設の撤去工事のようだ。2年後には再開するとのニュースもあり、早川の渓流に沿った佇まいは格別な趣があり、常連客も多かったのだろうと推察される。国道一号から100メートルほどの標高差を特設のケーブルカーで昇降して客を送迎するという風変わりな造りだったが、自分は利用したことはなかった。



對星館解体工事現場を過ぎ、早川を橋で渡ると「夢窓国師閑居の跡」と表示されたこぎれいな庵がある。夢窓国師は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧と紹介されているが、鎌倉幕府、室町幕府の両武家政権と朝廷との間を渡り歩いた、中世のスーパー僧侶だったようだ。



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ここからが「堂ヶ島渓谷遊歩道」のようだ。



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ルートは、早川に沿って緩やかなアップダウンを繰り返しながら上流に向かう。ルートに沿って、わずかに残る紅葉が曇り空の下でも明るさを醸し出している。

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この時季には草花を見つけることは難しい。タマアジサイも「ドライフラワーのようだ。」と同伴者に評されていた。


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日陰でも実をつけ始めたアオキだけが、冬枯れの灌木の中に目立っていた。



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小涌谷方面から早川に合流している、蛇骨川。



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ルートの終わりにある吊り橋。

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吊り橋を渡らず、この手前から左岸沿いに進むと宮城野方面と道標にある。



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吊り橋の上流には堰堤が見える。

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この先は一般道へ戻る上り坂、ようやく汗ばむ展開になったが、ほどなくスタート地点に戻った。ゆっくり写真を撮りながら、1時間半あまりの散歩コースで、客足が多い季節では狭いルートでのすれ違いに気を遣いそうだ。この日はどんよりした空模様で平日でもあったので、行き交うハイキング客はわずかだった。


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