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山北町河村城址~アサヒビール神奈川工場(2015/8/21)



 盆明けのどんよりとした空模様だが、甲子園の高校野球が幕を閉じたのと同期したかのように、続いていた猛暑も一服感があった。この日の山歩きの月例会は、「河村城址歴史公園~酒匂川文命提~アサヒビール神奈川工場」へ、7~8㎞のウォーキング。

walkingmap2015Aug.jpg

 JR山北駅で電車を降り、駅前の観光案内所にもなっている「山北町ふるさと交流センター」で身支度を調えてスタートした。10分ほどで城址公園になっている城山への入口に着く。(下の案内図は、上に南の方位を示している。)



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 良く整備された林の中を上りはじめ、「堀切」の跡などを観察しながら間もなく丘陵の上に到着。ここが「本城郭跡」で、ここを中心に城郭を構成していたようだ。



 神奈川県のサイトには、河村城跡[河村城址歴史公園]として次のように紹介されている。



河村城跡は、山北町山北、岸に所在し、酒匂川中流城左岸の通称城山と呼ばれる標高約225m、酒匂川河川敷との比高差約130mを測る独立丘陵上に位置しています。

河村城は、北は旧皆瀬川、南は酒匂川によって囲まれた自然の要害というべき自然地形を巧みに利用した典型的な中世の山城であり、規模が極めて大きく、かつ城郭遺構が現状でも確認できるほど良好な状態で残っていること、また小田原北条氏の城郭としての特徴をよく残している点で、重要かつ貴重な遺跡との評価を受けています。

jyoushi_sekihi.JPG

 城山の北側を望むと、東名高速道路の都夫良野トンネルが見える。更に遠景には、来月の例会で登る大野山が霞んで見えている。標高723mの大野山は、今いるここより500mも高い。



ohnoyama_far.JPG

 さて、城山を下り始めると、木々のはるか下の方から瀬音が聞こえてきた。酒匂川の流れから発しているようだ。木立の間から見え始めた酒匂川。



sakawa_river.JPG



 Wikipediaで「酒匂川」の紹介記事は次のようなものだ。



富士山の東麓と丹沢山地の西南部を主な源流とし、JR東海の御殿場線と並走するように流れ、丹沢山地と箱根山の間を抜け足柄平野を南下、小田原市で相模湾へと注ぐ。山間部から平野部に入るときに流れをコントロールし平野の中央を流れ、耕地を潤すように文命堤(岩流瀬堤、大口堤)が建設された。岩流瀬堤(がらせつつみ)は流れをいったん断崖に導き、大口堤は断崖からの流れを平野中央に導いている



(中略)



1707年(宝永4年)に起きた富士山の宝永大噴火の際には、酒匂川流域で大量の火山灰が積もり、下流では長年に亘って大雨の度に泥流に悩まされた。なかでも、噴火の翌年の621日(87日)から翌日に及んだ豪雨で大規模な土石流が発生、大口堤が決壊し足柄平野を火山灰交じりの濁流で埋め尽くした。





 新田次郎全集(全22巻)中の第21巻に「怒る富士」という時代小説がある。昭和47~48年に発表されたもので、富士山の宝永大噴火による被災民と、その救済に奔走した伊奈半左衛門忠順(ときの関東郡代)の苦闘を描いた物語だ。江戸時代中期に当地を見舞った未曾有の自然災害に立ち向かった伊奈半左衛門は、幕府内部の権力闘争に翻弄されながらも、自らの命を賭して被災地の救済に当たった。後に被災地(静岡県駿東郡北部)に「伊奈神社」として祀られるほどにその徳が偲ばれているという。



 この小説「怒る富士」の中でも、現在の文命提、岩流瀬堤、大口堤がある辺りは、酒匂川が峡谷部から平野部へと展開する地点で、出水時には決壊しやすいところだった様子が描かれている。小説の記事は、新田次郎氏が駿東郡や足柄上郡に残る古文書を丹念に調査分析されたもので、信憑性の高い事象が紹介されている。

sakawa_river_.JPG

 ウォーキングが続き、酒匂川の川岸近くまで下り立ったところに文命提西碑が建っていて、宝永の噴火から20年近く後に行われた治水事業によって築造された文命提(岩荒瀬(がらせ)提、大口提)の由来が紹介されている。



bunmeitei_info.JPG



bunmeitei_sekihi.JPG

 下の図はネットから偶然見つけたもの。この地の治水事業の概要を簡略かつ的確に図解しているので掲載しておく。(出典は不詳)

puffer.jpeg

 Wikipediaで「足柄平野」の紹介記事を読むと、この地の治水事業が長い間にわたって最大の行政課題であったことがうかがえる。

酒匂川によって形成された沖積平野であるため、他の沖積平野の例に漏れず水害が絶えなかった。江戸時代の文献においても大水(洪水)に関する記述が多く見られる。特に富士山噴火の際は、火山灰が酒匂川に積もってしまったため、それ以降は暴れ川としてたびたび平野を襲ってきた。長い間、足柄平野における災害対策事業と言えば治水事業が主で、多くの堤防が築かれては決壊の繰り返しであったが、酒匂川上流域の丹沢山地内に三保ダムが建設されてのち、これといった水害には見舞われていない。一方で大磯丘陵との境あたりには国府津-松田断層が南北に延びており、今日最大の脅威は地震であると言える。

 上記の記事中で「富士山噴火の際は、火山灰が酒匂川に積もってしまったため」とあるが、実際には流域に降り積もった噴火による降砂が、大雨の度に酒匂川に流れ込んだのであった。堤防の決壊によって水浸しになった足柄平野の住民は、上流域(駿東郡~山北)の住民が降砂を川に捨てるから下流域で洪水が発生するなどと曲解し、ここ岩流瀬堤や大口堤がある平野部への入口を境にして争いが続いたという。



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 山北町と南足柄市の境になっている「新大口橋」を渡っていると、橋のすぐ下には岩流瀬堤と大口堤の間にあって、川の流勢を減衰させる「千貫岩」と呼ばれる天然の堤防が見える。このように自然の地形や人工の堤防を駆使した先人達の営みが、現在の足柄平野の豊穣と安全をもたらしているということを思い起こさせてくれる風景だ。





 今日のウォーキングでは、アサヒビール神奈川工場での工場見学が予約されていて、先を急がなければならない時間となり、酒匂川の治水を由来としている「福沢神社」、リコリスが咲き始めているという「南足柄市運動公園」を横目に見ながら歩き続ける。





asahi_kannondou.JPG

 写真はルート上にある「朝日観音堂」、アサヒビールとはまったく無関係。江戸時代中期の建立と推定され、「堂内にある兜跋毘沙門天(どばつびしゃもんてん)は北方守護、北方鎮護の神様として平安時代から民衆の信仰が厚く、そのため都と東国を分ける足柄峠を越えたこの地に建立されました。」と紹介されている。

 正午過ぎ、ようやくアサヒビール神奈川工場に到着。



asahibeer_plant.JPG



 入口近くにある「アサヒビール園」で忙しくランチを摂り、見学に向かう。

asahibeer_info.JPG

 見学者の受け入れは写真のゲストハウスが入口になっていて、見学後の試飲コーナーなどが用意されていた。



asahibeer_guesthouse.JPG

 工場見学は、よく教育されたコンパニオンの引率で行われ、製造から出荷までの工程が効率よく説明された。完全自動化された各工程には、ほとんど従業員の人影を見ることもなく、ある意味では“殺風景”なプラントであった。

 帰路は1時間に1本の路線バスに乗り込み、小田急電鉄新松田駅へと帰り着き解散となった。




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